【コラム】裸の島(The Naked Island)/路地裏〜あるタイプ〜 vol.3

世に出回る無数の映像作品の中から、心に残る秀逸な作品を拾い集めたコラム。今回は台詞無し、低予算、1960年に日本で製作された映画「裸の島」です。(上野賀永子)





The Naked Island


季節は夏。女は滲む汗を太陽に照らしながら櫓を漕ぐ。向かいに座る夫も引っ付くシャツをはがしながら手拭いで体を拭いている。海の上に浮かんだ、島というよりは崖と丘だけの土地。日に何度も天秤棒で水桶を運んでは、乾いた土地の農作物に丁寧に水をやる。その繰り返しの日々。

平成24年1月17日、この原稿を書いている。阪神大震災がおきた日である。17年前、私は19歳だった。大阪の端の小さな町に、ひとりで暮らしていた。揺れた。というよりは、上に突き上げられた。ベットの縁に必死で掴まる。早いうちは電話が繋がっていた。まだ携帯電話は一般的に普及していない。富山の実家にかけるとのんびりした声が返ってくる。揺れはおさまらない。上階の温水器が破裂してたちまち水浸しになった。

テレビで状況が伝えられる頃には、もう連絡の手段は途切れた。近鉄南河内線は動いている。バイトに行かなければならなかった。冷静に考えれば、この状況でクッキーを買いにくる人間などいないと解るはずなのに、私は阿倍野に向かった。案の定、バイトは休みだった。いつも賑やかな阿倍野は静まり返っていた。たった数時間の出来事だ。

その後は報道や記録でご存知のとおりである。6434人が亡くなった。その中には知り合いもいたし、友人のご家族もいた。大学に来られなくなった友達。神戸在住の教授。家は全壊、半壊の状態で授業は振り替えが相次ぐ。避難所となっていた東灘区のグラウンドに通った。阪急電車はいつもリュックや物資を担いだ人々でいっぱいだった。

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その年の夏、大学の映写室で「裸の島」(新藤兼人監督/1960年)を観た。空撮での島の俯瞰カットから始まり、音楽がひどく印象的だった。台詞はない。笑い声と泣き声。祭りの音。水が揺れる音。モノクロに映える海面。砂埃が立つ足元。やっと実るサツマ芋。春に採れる麦。時々沸かすドラム缶の風呂。平成7年の夏、私たちは不毛の中に居た。スクリーンの中の一家の生活も循環していた。しかし、その中には鯛を釣り上げる小さな喜びがあり、学校で唄を歌う子どもの生活があり、地代を納める為に頭を下げる親の姿がある。

乾いた島に暮らす一家の物語と書いてしまえばそれで終わる。が、果たして日常とは、不変と可変の間に行き来する時間の流れではなかったか。ある日、長男が亡くなる。火葬する際、母親が棺の上に、祭りで買ってやった刀を置く。この映画の中で唯一と言っていい、母親役の乙羽信子が畑の作物を引きちぎって泣くシーンはあまりに有名だが、父親役の殿山泰司の静の動作にこそ、この家族の決意があった。救いなどないかもしれない。不毛かもしれない。けれども日常は続いていくのだと、その夏に思った。

新藤兼人は辛抱強くこの作品を撮った。予算は300~400万円と言われている。殿山も撮影当時、肝硬変で死と隣り合わせであった。しかし、この映画は完成した。「裸の島」は第2回モスクワ映画祭のグランプリを獲得した。私が何より嬉しかったのは、今回改めて観たこの作品のメイキングの中で、殿山と乙羽が楽しそうに微笑んでいたことだった。彼らは、生きていた。


裸の島
監督:新藤兼人
出演者:乙羽信子・殿山泰司ほか
販売元:角川映画


上野賀永子/Coto Note代表。大阪芸大でいらんことばかり覚えてきたWriter&Copy writer。楽しいことには飛びつくが、基本、静かに暮らしたいひと。趣味は睡眠と放浪。☆3月の「サウダーヂ」富山上映、観に来てねっ!!☆

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